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2025-06-16

戦争反対

ご依頼受付を休止して普段以上に制作漬けな毎日を送っていると、頭が制作モードになっているからなのか自分の内側へどんどん入り込んでいくような感覚があります。そこに集中している時には外側で起こっていることがぼやけて見えてしまいます。

それなのに、僕の意識がある言葉へ一気に向きました。

”戦争”

またか。またやってしまったのか。ふざけるな。

おかげさまでせっかく集中していたのに制作の世界から引き摺り出されました。

僕はKUBUSを始めてから、夢を聞かれた時に「世界平和」と答え続けてきました。何度鼻で笑われたか分かりません。それでも大真面目に抱き続けています。

平和な世界にとって戦争は邪魔です。確かに芸術は戦争の前ではあまりにも丸腰に見えるかもしれません。でも、芸術がもたらすあるものが戦争などないやさしい世界を手繰り寄せてくれると僕は信じています。それは感受性です。

芸術はそれを創る人・触れる人の感受性を育ててくれます。作者は何を表現しようとしたのか、そこから自分は何を感じるか、大切なあの人は何を感じるだろうか、、、。一つの作品を通してあらゆる方向へ想像を膨らませ、自分ごととして思考を深めていく。

そうして育てられた感受性は対芸術だけで発揮されるものではありません。あらゆる物事、生きとし生けるものに思いを馳せ、喜びや悲しみを想像し、共感できる優しさとなります。

僕が今読んでいるカート・ヴォネガットの『国のない男』(NHK出版,金原瑞人 訳)の中でこんなことが書いてあります。

悪しき指導者は絶大な力を持っていた。そして彼らはふたたび勝利したのだ。まさにばい菌だ。指導者たちは自分たちの本音も明らかにした。それを今日のわれわれは正しく認識すべきだと思う。彼らは人の命を救うことなんかにはまったく興味がない。彼らにとって重要なのは耳を傾けてもらうことだ。素直に聞いてくれる人がいる限り、それがどんなに愚かな内容であっても、彼らの考えはどこまでもどこまでも続いていく。もし彼らが憎んでいるものがあるとすれば、それは賢い人間なのだ。

賢い人間になるには感受性が必要不可欠です。戦争をするような馬鹿に嫌がられるためには感受性を育てなければなりません。

どうでしょう。戦争に対して無力に見えた芸術が、先ほどよりもほんの少し心強く思えませんか。その積み重ねによってやさしい世界が築かれていくはずです。

世界平和はある日突然訪れません。だから、自分のためにも世界のためにも感受性を育む種となる作品を僕は創り続けていきます。


KUBUS 斎藤

制作中の背中

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