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⒌ 近代におけるシグネットリングの変遷(16世紀~19世紀)

中世後期に見られた市民層への豊かさの拡大や社会構造の変化は、やがて近代ヨーロッパにおける新たな価値観の形成へと繋がっていきます。

<王権と印章>

近代初期においても、印章指輪は引き続き政治や統治と深く結びついていました。とりわけ、イギリスでは文書によって王の意思を示す統治体制が整う中で、印章はその正当性を保証する不可欠な存在として機能していきます。

この時期の王族のシグネットリングの一例として、チャールズ2世の指輪が挙げられます。印台部分には王冠や王家の紋章、ラテン語による王名のモノグラム「CR(Carolus Rex)」、さらに王家のモットーが刻まれており、国王としての権威と公的な役割が明確に表現されています。

このシグネットリングは、Royal Collection Trust(英国王室が所有する美術品等を管理・公開する慈善団体)の公式サイトから確認することができます。

チャールズ2世のものとされるシグネットリング(Royal Collection Trust)

このように、英国王室においてシグネットリングは欠かすことのできない存在であり、その象徴的な意味は現代に至るまで受け継がれています。現在でも、チャールズ国王が左手の小指にシグネットリングを着用する姿が見られ、そこからシグネットリングへ関心を持たれた方もいらっしゃるのではないでしょうか。

英国王室におけるシグネットリングについては、下記のブログで詳しく紹介しています。よろしければこちらのページも併せてご覧ください。

英国王室内のシグネットリングとロイヤルサイファー

<市民社会と宝飾文化>

近代に入るとシグネットリングは徐々に統治や権威の象徴という枠を超え、より広い社会層へと浸透していきます。

下の絵は19世紀のパリの大通りを描いたリトグラフです。都市の発展とともに商業や交通が活発化し、多くの人々が行き交う中で、それぞれの価値観や生活スタイルが形づくられていった様子がうかがえます。こうした社会の変化は、人々が身に着ける装身具の意味にも影響を与えていきました。

パリ、イタリア通りの眺め

Gezicht op de Boulevard des Italiens te Parijs(パリ・イタリア大通りの眺め) / 19世紀 / Rijksmuseum

18世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパではロマン主義の広がりと資本主義の発展を背景に、個人の主観や自由、教養といったものが重視されるようになります。裕福な市民層が台頭し、それに応えるかたちで宝飾文化も大きく発展を遂げました。※ロマン主義とは(Wikipediaページ

現在でも世界的に知られるCartier(1847年創業)、Boucheron(1858年創業)、Asprey(1781年創業)、Tiffany & Co.(1837年創業)などのジュエリーブランドが誕生したのもこの時期です。

こうして宝飾文化が成熟していく中で、シグネットリングもまたその担い手を広げていきました。かつては権威や制度と強く結びついていた印章指輪が、次第に個人の趣味や思想、教養を表現する装身具としても選ばれるようになっていきます。

下記の図版は、ティファニー社が1882年に発行した Blue Book と呼ばれるカタログです。宝飾品の注文に関する説明が132ページにわたって掲載され、顧客の希望に応じたジュエリーが制作されていたことが読み取れます(“Blue Book”, Tiffany & Co., 1882)

ティファニー社が1882年に発行したカタログ「Blue Book」

Blue Book(ティファニー社カタログ) / 1882年 / Tiffany & Co.

p.65には、「Seal Rings」の項目が確認でき、オニキスなどの石を用いた指輪が紹介されています。

またp.66には、「Cameo Rings」や「Intaglio Rings」といった項目も見られます。Cameoは浮き彫り、Intaglioは沈み彫りを意味し、その題材として古典・歴史・神話や著名人の肖像などが挙げられています。価格帯も7.5ドルから125ドルと幅があり、当時の多様な需要に応じた制作が行われていたことがうかがえます。

Blue Bookの65ページ

Blue Bookの65ページ

Blue Book(ティファニー社カタログ) / 1882年 / Tiffany & Co.

さらに、p.36には「PRESENTS FOR LADIES」と記された女性向けのページがあり、その中にも「Seal Rings」の項目が掲載されています。名前や神話的題材の彫刻など複数のバリエーションが紹介されており、価格は14ドル〜と記載されています。

Blue Bookの36ページ

Blue Book(ティファニー社カタログ) / 1882年 / Tiffany & Co.

シグネットリングはしばしば「紳士のための指輪」として語られることがあります。しかし、こうして文献を紐解いていくと、それは一面的な見方にすぎないことがわかります。この時代においても、紳士に限らず、さまざまな人々がシグネットリングを身に着けていたのです。

長い歴史を持つシグネットリングに共通するのは、必ず意味を持っていたという点です。単なる装飾品ではなく、身分や立場といった社会的な役割や、信条や思想などの内面的な価値観を可視化するために存在していました。そもそも印章指輪としての起源は、第2章で述べたように、装うための宝飾品としての役割を持つよりも先に、権限や約束を示す道具として誕生しています。こうした背景を知ると、シグネットリングを単なるジュエリーとして語るのがいかに表面的な理解であるかが見えてきます。


【参考文献】

  • 『指輪』淡交社, 2000年.
  • Scarisbrick, Diana. Rings. London: Thames & Hudson, 2007.
  • Scarisbrick, Diana. Jewellery in Britain 1066–1837: A Documentary, Social, Literary and Artistic Survey. London: Batsford, 1995.
  • Tiffany & Co. Blue Book, 1882. https://archive.org/details/bluebook00tiff/mode/2up(最終閲覧日:2026年4月12日)


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