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⒉シグネットリングの起源(紀元前3000年頃~紀元前1500年頃)

シグネットリング(印章指輪)は、人類が「身元を示す」ために生み出した、象徴性と実用性を併せ持つ最古の装身具とされています。

その起源は、古代メソポタミアにまで遡り、シュメール人は約5000年前にはすでに印章を用いていたことで知られ、契約や封印、記録文書の真正性を担保するために使用されていました。

当時用いられていた印章には、粘土板に転がして模様を刻む「円筒印章」と、身に着けて使用する「指輪型印章」の二つの形式が存在していました。円筒印章はパピルスや羊皮紙の普及とともに次第に姿を消していきますが、指輪型の印章はその後も形を変えながら受け継がれ、特に古代エジプトにおいて大きな発展を遂げることとなります。

では、なぜ古代エジプトで印章指輪が重要な存在となったのでしょうか。ここでは、その背景にある思想や社会構造に触れながら、印章指輪という形態が広く浸透していった理由を見ていきます。

<古代エジプトにおける印章指輪の重要性>

古代エジプト社会において、宗教観や信仰が人々の生活と密接に結びついていました。太陽の運行、ナイル川の氾濫、砂漠を吹き荒ぶ風といった自然現象のすべてに神々の意志や力が宿ると考えられており、世界は神々の秩序によって保たれていると理解されていたのです。

そのような思想のもとで、象徴的な意味を帯びた存在として崇められたのが「スカラベ」です。

スカラベとはいわゆるフンコロガシのことで、フンを丸めて運ぶ姿が太陽神を崇める光景に似ていることから、太陽信仰や不死・再生の象徴とされました。

それゆえ、古代エジプトではスカラベ型の印章指輪が多く出土しています。これは単なる装飾ではなく、こうした宗教的・象徴的背景を色濃く反映していると言えます。スカラベ型の印象指輪は王や高官の権威を示すしるしとして用いられ、特に識字能力を持たない人々へ「一目で権威や所属を伝える視覚的な記号」としての重要な役割も果たしていたと考えられています。

スカラベ形印章指輪

Scarab Finger Ring / スカラベ形印章指輪 / 紀元前1850–1750年頃 / The Metropolitan Museum of Art


刻印の無いスカラベの指輪

Ring with Uninscribed Scarab / 刻印の無いスカラベ形指輪 / 紀元前1850–1640年頃 / The Metropolitan Museum of Art

ここで、ひとつ私の個人的な考察を添えたいと思います。古代エジプトで広く用いられたこうしたスカラベ型の印章指輪は、現代のシグネットリングに多く見られるオーバル形状の印台とどことなく似ているように感じませんか?

その造形的なバランスの良さから、オーバル型の印台はシグネットリングにおけるベーシックな形状として世界的に定着しています。また、石を留めたクラシックなジュエリーにもオーバルカットのものが多く見られます。もしかするとこれらの源流にはスカラベ型の印章指輪の存在があったのかもしれません。

直系のシグネットリングだけでなく、シグネットリング以外のジュエリーにまでこうした印章指輪の存在が影響を与えていたと考えるのは、決して飛躍した論理ではないように感じます。

実はスカラベ型の印章指輪よりも現代のシグネットリングに近い造形が、すでに古代文明の時代に現れていました。

<ツタンカーメンの印章指輪>

ツタンカーメン王名入り印章指輪

Signet Ring with Tutankhamun’s Throne Name / ツタンカーメンの玉座名入り印章指輪 / 紀元前1336–1327年頃 / The Metropolitan Museum of Art

この横長の印章指輪は、黄金のマスクで有名なツタンカーメンが実際に印章として用いたとされるものです。印台中央の彫刻にご注目ください。これは古代文字ヒエログリフでツタンカーメンの冠名(王位名)である「ネブ・ケペル・レ(Neb-Kheperu-Re)」を表す図像で、「ケペル」という語は「生成する者」や「創造する」を意味し、ヒエログリフでは「𓆣=スカラベ」で表されます。

先述したように、スカラベは古代エジプトにおいて太陽神の再生や創造を象徴する存在でした。この指輪では、その象徴が飾りとして添えられているのではなく、王の名そのものを構成する文字として刻まれています。まさに着用者を象徴するシグネットリングです。

この一例からも、人々にとってスカラベがいかに重要な存在であったか、そしてなぜスカラベ型の造形が印章指輪に用いられてきたのかが見えてきます。同時に、印章指輪が王の身元や立場、さらには神との結びつきを示す装身具であったことも読み取れるのではないでしょうか。

こうして古代エジプトで生まれた印章指輪には、すでに「印章としての実用性」と「権威や信仰を示す象徴性」が同時に宿っていました。その造形的特徴や役割は、時代を超えて受け継がれ、後世の指輪文化へと連なっていきます。


【参考文献】

  • 浜本隆志『図説 指輪の文化史』河出書房新社, 2018年.
  • 『指輪』淡交社, 2000年.
  • Scarisbrick, Diana. Rings. London: Thames & Hudson, 2007.


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